「佐川さん、そろそろ『いえどく』を形にされませんか?」
笠木誠さんが私の勤務する会社の広報室で、お茶をすすりながらそんな話をしたのは、2006年の春先のことだった。笠木さんは大手広告代理店博報堂の出版営業局の局長代理で、私が1995年に「朝の読書」運動を立ち上げた時から運動の影のサポーター的存在だった。
「朝の読書」を一気に社会へ知らしめるにはマスメディアを連動した施策が重要と、1996年に江藤淳氏と林公教諭の対談、「青春の読書~朝の読書がもたらしたもの」を朝日新聞広告特集を二人で企画することになった。これは、朝日新聞の全15段1ページを買い取って、その中身を私が作り出すというものだった。朝日新聞の全国版朝刊で1ページを買い取るということは、通常では4~5千万円もの費用が必要だ。もちろんその費用を私が勤務する会社で賄うわけにもいかない。そこで考えたのが誌面の半分を出版社の広告で埋めて、その広告収入で買い取り費用を賄うという方法を考え出した。
1996年の第1回目の広告特集は、まだ「朝の読書」が海のものとも山のものとも分からない運動であったから、出版社も簡単に承諾してくれない。1本あたりの単価は高額であるから、私は毎日出版社の社長や幹部に「今に朝の読書は全国の学校にひろがる。出版再生の原動力になる」とお願いしてまわった。
その後、「朝の読書」が燎原の火のごとく全国の学校に広がっていったから、この朝日新聞「朝の読書」広告特集は毎年秋の読書週間初日(10月27日)の定番となっていった。
私は「朝の読書」運動を立ち上げた当時(1995年)から、「朝の読書」は学校のみならず、家庭や地域や様々な施設、保育園・幼稚園や病院など、団体生活をしているすべての処で応用ができる、と考えていた。であるが、まず「朝の読書」の普及は学校以外の普及運動はしない。ある程度、全国の学校に普及させて、その上で「家庭での読書環境」づくりに取り組むという考えであった。
「もう、朝の読書は佐川さんの目標に達したでしょう」と、にこにこ笑いながら私の決断に迫ってくる。
確かに、笠木さんは「朝の読書」の実施校が全国2万校を超えたので、もう十分時期は熟成したと読んだのであろう。
「笠木さん、私もそう思う。今年は『いえどく』運動を立ち上げてみたいと考えていた」
それは、私の現役時間が2年程度に迫っていたこともある。笠木さんと私は二人の間では、家庭読書・家族読書を略して「家読」。それを「いえどく」と称していた。正当な日本語の読み方である。それから二人の間で「いえどく」企画構想が非公式ながらに進んでいった。
これからは社内外のスタッフでいえどくプロジェクトチームをつくらなければならない。
企画を発表する「新聞社はどこに?」と尋ねる笠木さんに、私は迷わず「読売で・・・」と告げる。朝日新聞の広告特集はすでに、「朝の読書」を毎年秋の読書週間に企画すること約束をしてあるので、「いえどく」は21世紀活字文化プロジェクトを発足させている読売新聞にする考えに決まっていた。
それからは博報堂と読売新聞社と私の部下を含めたスタッフでプロジェクトチームを編成した。「朝の読書」は二人の高校教師と私らの大人の感覚だけでその理念と方法を構築した。「いえどく」はそういう大人の感覚でつくりあげてもきっとうまくいかないであろう。むしろ「朝の読書」に慣れ親しんでいる、それも小学生たちの知恵で組み立てたらどうだろうか、というのが私の「いえどく」運動構築原理であった。
後日、笠木さんは「いえどく子ども会議」に関する企画書をまとめてきた。
「これだよね、これでいいんだ。そして子ども会議の発進は、東京や大阪などの大都市ではなく、地方の小さな町から打ち上げたい」。私の条件はそれだけだと伝えた。私はすでに「朝の読書」の世界で全国の自治体とのつながりも持っていたので、「朝の読書」に積極的に取り組んでいる自治体ならどこでもいいとおもっていた。あとは白羽の矢をどこにたてるか、というところに絞り込まれた。
最終的に、茨城県大子町の子どもたちは「読書が大好き。感性も豊かで表現力も旺盛。学校や家庭の協力も望める」といことで大子町立だいご小学校6年生6人の子ども会議を実行することになった。
それらの企画を決裁する土壇場で、「運動名の『いえどく』は言葉が固い」「子どもたちを主体に考えれば、子どもたちは家を、『いえ』とはいわない。むしろ『おうち』というのではないか」などの意見が出て、その運動名を協議した結果、子ども主体の運動と、言葉のひびきを重視して「うちどく」と読ませることに落ち着いた。
2006年11月、大子町の子ども会議を設営した会場に、小玉幸可さん、藤田和夏子さん、内田千尋さん、塩田紘之くん、見越広幸くん、益子祥直くんの6人が集まってくれた。みんな「朝の読書は楽しい。だけど大人はどうして本を読まないんだろう」、「携帯電話ばっかりいじくっているよね」「本を読まなくちゃいけない法律をつくればいいんだ」などと、本を読まない大人たちに強烈な批判が飛び出しながら、子ども会議本論に入る。
「学校では朝だけど、家読は夜?」
「家族みんなで同じ本を読めば感想を話したりできるんじゃない」
「同じ本を読んだら、主人公の気持ちを話し合ったり、感動したところを言い合ったりできるしね」
「忘れないために感想が書けるノートを作るってどう?」
「家族みんなで同じノートに書けるといいかも」
「お父さんもお母さんも仕事で帰ってくるのが遅いし、家で本読むかな」
「みんなで家読やっていて、お父さんだけ参加しないと気にするはずだよね」
「同じ本を読むとみんなでいろんなことが話せるよね」
このような子どもたちならではの感性からほとばしるアイデアが「家読の約束」としてまとまった。
①家族で同じ本を読もう。
②読んだ本で話そう。
③感想ノートをつくろう。
④自分のペースで読もう。
⑤家庭文庫をつくろう。
これらの「子ども会議」の内容を、私たちは読売新聞2006年12月20日付全国版朝刊全15段1ページの広告特集面を制作して、「家読」運動を社会へ送り出した。この広告特集に俳優で「家読」応援団長の児玉清氏(故人)は、「いま起きている殺伐とした事件の原因は創造力の欠如。子どもたちがどんな本を読んでどんなところに感動したのか興味を持ってみる。まずそこから始めてみませんか」とメッセージを寄せてくれた。