2017/03/12 | 「朝の読書」30年目の危機か? | | by:ts |
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今年2月14日に文部科学省が「学習指導要領改定案」を公表した。今回の改定は、よりよい社会を創るために社会と連携・協働しながら未来の創り手となるために必要な資質・能力を育む「社会に開かれた教育課程」の実現が基本方針となっている。根源的なことはこれまでの「生きる力を育む」教育をめざすことにかわりはない。
今回の改定で注視されるものは、2020年度に全面実施される「外国語教育」の対応にある。これまで小学校では2008年度から5,5年生を対象に始まった英語教育が2020年度に教科化される。同時に英語教育の早期化を図るために3,4年生の英語学習が必修化になる。そのために、3,4年生の英語学習をどこに組み込むか、時数の確保が小学校の緊急課題になった。
英語教育導入の時数確保について、昨年8月に開催された中央教育審議会会議録によれば、「15分の短縮時間学習の設定(モジュール学習)」をしなければならい。新たに増加する授業時数である。その時数確保には、「長期休業期間における学習活動」や「土曜日の活用でコマ数増」など、「地域や学校の実情に応じ、組み合わせながら柔軟な時間編成を可能としていく」と指摘されている。教育委員会や学校現場の都合の良い時間確保をせよ、という投げかけになっているようだが、「長期休業・・・」や「土曜日の活用」などは制度的なこともあるだろうから、現実的なものではない。とすると、一番安易に朝の10分、15分の時数を考えると、その時間帯は現在全国の学校で実施されている「朝の読書」を「英語学習に切り替えるという方法が状況的には簡単にできることになる。
平成19年度の改訂の時にも、増加した年間の授業時数の確保について「朝の10分間に行われている読書活動」をそれに充てよ、と具体的な指導が示されている。そのために当時から、上記指導により「朝の読書は取りやめになった」という嘆きの声が多くの学校から寄せられた。
「朝の読書」は本来、子どもたちの精神安定や心の栄養素を育む読書活動とし手1988年に千葉県の私立女子高校で発生した。当時は全国の学校で授業ベルが鳴っても席につかない騒然さ、遅刻者が多く、いじめや不登校が蔓延して、さらに学級崩壊や学校崩壊で学校の危機とも言われていた時代である。少年の殺傷事件や犯罪事件も多く、全国の学校が教科書以前の心の教育が必要だ、教育の基礎は読書にある、と「朝の読書」は全国に広まった。学校の朝は静粛に包まれ、子どもたちは熱心に読書をすることで豊かな人間性が育まれ、本を読むことで集中力と読解力がつくことで学力向上にも成果をみせるようになった。
OECDのPISA調査で日本の子どもたちの学力が問題視されて、2007年から再開された「全国学力テスト」の結果分析で、「朝の読書をしている学校は、していない学校よりも正答率が高い」とは文部科学省が実証したことでもある。
「朝の読書」が子どもたちの豊かな成長と教育に果たしている貢献は学校関係者ならだれでも知っていることである。子どもたちの英語力も大事な教育になるが、その前に母国語をしっかり身に着けることはもっと大事なことではないだろうか。学校現場では今ICT教育の整備が進んでいる。それも効率的な教育になるのであろうが、子どもたちは学校でも家庭でも電子メディア漬けになる。電子メディアは便利な反面は子どもたちの脳細胞にはよくない状態をもたらすと脳科学者たちは警鐘をならしている。電子メディア漬けで育った子どもたちは「感情のコントロールができない」「コミュニケーション力が身につかない」という傾向が強いとも言われる。
「朝の読書」の時間が学校現場でなくなったら、また30年前の時代へ逆もどりになるのではないか。教科書は知恵は教えてくれるが、人間性は育んでくれない。今回の改訂の主旨は「生きる力を育む」ことと「社会に開かれた教育課程の実現」にあるようだが、それが「朝の読書」と引き換えになるようであるならば、その整合性をどう理解してよいのだろうか。全国の子どもたちと、教育者たちと歩んできた「朝の読書」は、来年30周年を迎える。