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代表のひとりごと   ~家読推進プロジェクト 代表 佐川二亮~
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2022/12/10

映画【ラーゲリより愛を込めて】に、今、日本人が学ぶこと!

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 2022年12月9日、映画【ラーゲリより愛を込めて】(監督瀬々敬久氏)を観た。二宮和也さんが扮するこの映画の主人公、山本幡男(島根県隠岐の島さんは、旧満州国で満鉄調査部に勤務していた。たまたま知人の結婚式場で、妻モジミさんや子どもたちと食事をしながら団欒しているシーンから物語は始まった。そのころ、日本国内では広島と長崎に原子爆弾が投下され、日本の敗戦色が濃くなっていた。その期に及んで連合国でもある旧ソ連は、一方的に日ソ中立条約を破棄し、満州へ攻め込んできたのである。家族を日本へ逃避させた山本さんら約70万人の日本人はソ連軍によってシベリアに連行され、零下40度という極寒の収容所(ラーゲリ)に抑留され、寒さと飢えに耐えながら強制労働を強いられた。
 生きる望みを失っている収容所の仲間たちに、俳句や万葉集なども教えながらダモイ(帰国)するまで「生きる希望」を与え続けた指導者が山本幡男さんであった。映画はそのような収容所での過酷な労働内容や仲間たちの葛藤を映し出す。映画の中盤から目が離せなくなる。癌に侵された山本さんは余命3か月と告知される。日々衰弱していく山本さんに、仲間たちは「家族に遺書を書け」と薄いざら紙のノートを差し出す。
 自らの命の限界を感じている山本さんはそれを受け止め、家族あてにノート15頁、約4千500字の遺書を書いた。遺書は「本文」「お母さま!」「妻よ!」「子供等へ」の4通になった。遺書を書きあげた山本さんは間もなく息を引き取り、遺体は収容所近くの白樺林に葬られる。
 この山本さんの遺書、仲間たちがダモイ(帰国)したときに、家族に届ける約束となったが、収容所から紙に書いたものを持ち出すのはスパイ行為になってさらに25年の抑留になる。そこで一計案じたのが、みんなで分担して暗記をすることだった。7人の仲間が山本さんの遺書を暗記することにした。
 それから歳月が過ぎ、1955年4月18日、記憶で運ばれた最初の遺書が妻のモジミさんに伝えられた。10日後に第二便の遺書が届けられ、第三便、第四便、第五便、と続き、最後の遺書が届いたのは1986年のことになる。母へ、妻へ、子供等へ、へ宛てたそれぞれの遺書の内容は、今の時代の危うくなっている家族関係に大きな示唆を与えるものだ。特にこれからの日本を背負うことになる子供たちへのメッセージ(教訓)はこの国の人間精神の忘れてきたものへの警鐘にもなりえるものではないかと思う。
 山本幡男さんに扮した二宮和也さん。嵐のメンバーとしての印象が強いのであるが、まず、二宮さんのイメージを全く感じさせない表情・演技力に驚かされ、感動した。山本さんの性格・人格もすべて二宮さんに同化して、山本幡生男さんそのものになっている。すばらしい俳優さんであることを再認識させられた映画でもある。この映画、原作者の辺見じゅんさん(2011年9月21日没)に観てほしかった。生前、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』の映画化の話があると伺っていた。当時私は編集者をしていて、「朝の読書」や「家読」運動に携わっていて、これらの子どもの読書運動に辺見さんは大きな関心を寄せれら、また運動の支援者でもあった。そこで、この『収容所から来た遺書』を、「朝の読書」に取り組んでいる子どもたち(主にYA世代)にも読んでもらいたい。そのために小学高学年から中高校生、さらに大人まで読める本をつくりませんか、と相談。辺見さんは大変喜ばれてその話から3年目に『ダモイ遥かに』(メディアパル)を出版することになった。辺見さんは1989年に出版した今回の映画の原作本になる『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』刊行後に確認された事実も書き加え、新たな小説として2008年4月に『ダモイ遥かに』を社会へ送り出すことになった。この『ダモイ遥かに』を出版することになった辺見さんは、「極限下でも希望を失わずに生き抜いた日本人の姿を、今の中学生や高校生の子どもたちに伝えたい」と語られていた。
10:01
2021/10/18

『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』の映画化に想うこと

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 『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』が映画化になるという情報をWEB上のニュースで知った。監督は瀬々敬久氏で、主演は嵐の二宮和也さん。2022年に公開の予定。  
 『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』は、歌人でノンフィクション作家辺見じゅんさん(2011年9月逝去)が1989年に文藝春秋から出版したノンフィクション作品である。内容は、第二次世界大戦後に旧ソ連が不当に約70万人を捕虜としてシベリア収容所に収容した。零下40を超える厳寒の中で、飢えと重労働で約7万人が命を失った。そんな過酷な収容状況の中で、「ダモイ(帰国)は必ずある。それまで生き延びるんだ」と、精神を保つために短歌や俳句を教え、「生きる希望と夢」を与え続けていた島根県隠岐の島出身の山本幡男さん。その山本幡男さんも病に侵され臨終のときに家族に宛てた4500文字の遺言(「本文」「お母さま!」「妻よ!」「子供等へ」)を、6人の仲間たちが分担して山本さんの遺言を暗記し、やがて日本へ帰ってからそれぞれが家族へ伝えた。最後の遺言が届けられたのは昭和62年の夏であった。辺見さんはその遺言からシベリア抑留の、埋もれた真実を浮かび上がらせたのが『収容所(ラーゲリ)から来た遺書(文藝春秋)と、その作品を子どもから大人まで読める小説版に仕上げたのが『ダモイ遥かに』(メディアパル)である。
 生前、私は編集者として辺見じゅんさんと親しくお付き合いをいただいた。地方の文化活動として「作家の家」を島根県斐川町(現・出雲市)につくったり、福島県石川町では「辺見じゅん自分史講座」や「短歌の会」の講師なども務めていただいたりした。当時私は出版業界にいて「朝の読書」運動にも係わっていたことで、朝の読書の子どもたちに「平和と命の大切さ家族愛」を知ってもらうために、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』を小説化して、子どもから大人まで読める本にしたいたいと提案した。「朝の読書」や「家読(うちどく)」応援者でもあったの辺見さんは快く快諾され、私が社長を務めていた出版社、メディアパルから出版することになった。新たに書き下ろしの小説版をつくるため、辺見さんはシベリアの現地取材をしたり、再び山本さんゆかりの方々を取材して、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』には書けなかった新たな事実も書き表すことになった。そうして3年近くもの時間をかけて『ダモイ遥かに』を脱稿、装画と挿絵は伊勢英子さんが担当して、2008年4月にメディアパルから出版することができた。小説の形をとりながらも歴史に埋もれたシベリア抑留の実態が、さらに新しい事実を知ることで、埋もれた真実が明るみになったともいえるであろう。
 2021年夏、山本さんの故郷である島根県隠岐郡西ノ島町の国賀海岸に世界の平和を願って「山本幡男顕彰碑」が建立された。除幕式には辺見さんも立ち会われた。演技力のある二宮和也さんが、映画でどのような山本幡男さんを演じるのか楽しみなことであるが、辺見さんは『ダモイ遥かに』の「あとがき」で、このようなメッセージをおくっている。
 「山本幡男という一人の平凡な日本人の非凡な魂が、この本を読んでくださったあなたの心にすこしでも届くようにと、思っている。平成20年春 辺見じゅん」。
 辺見さんも天国で、この映画ができることをきっと喜んでおられると思う。合掌                                
10:10
2021/06/19

【こども】と【子ども】と【子供】の用語表記、あなたは何派? 

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 最近、ある自治体の「子ども読書活動推進計画」を読んでいたら、タイトルに使用する【子ども】の表記について、国が平成13年に制定した「子どもの読書活動の推進に関する法律」の「子ども」表記と、平成30年に文部科学省が策定した「第四次子供の読書活動の推進に関する基本的な計画」での「子供」表記の違いについて注釈が付けられていた。全国で読書活動に携わる方々や教育現場でも、【こども】・【子ども】・【子供】のいずれの表記にするか悩むことがあるという声も聴くので、この用語表記について少し調べてみた。

 まず、子ども読書に関するいくつかの歴史的事業を取り上げてみると、国立の国際子ども図書館が開館する平成12年を「子ども読書年」とし、平成13年には「子どもゆめ基金」を制定。前述の「子どもの読書活動の推進に関する法律」によって国は平成14年に「第一次子どもの読書活動推進に関する基本的な計画」を策定。平成20年「第二次子どもの読書活動に関する基本的な計画」、平成25年「第三次子どもの読書活動推進に関する基本的な計画」を策定した。ところが、平成30年の「第四次」では、「第四次子供の読書活動推進に関する基本的な計画」と、第四次から「子ども」ではなく、「子供」という表記にかわったのである。そこで、各地の自治体が「推進計画」を策定する際に、【子ども】か【子供】か?と混乱が生じることになっているのだ。

 そこで、文部科学省がなぜ、「こども」の表記を【子ども】から【子供】に統一したのかを少し調べてみた。すると「子供」の表記は昭和48年の内閣訓令で漢字表記とされていたが、「漢字より柔らかい印象がある」として、各省庁とも漢字と平仮名の交ぜ書きの【子ども】を使う例が増えていたことで、公用文書は漢字書きの「子供」に統一したと、当時の新聞が報じている。公用文書は平仮名との「交ぜ書き」ではなく、漢字表記を原則とすることを明確にしたようだ。
 
 従って、平成30年に国が策定した「第四次子供の読書活動の推進に関する基本的な計画」はタイトルから本文にいたる全文「子供」の表記になっていることから、地方自治体だ策定する「推進計画」の名称をどうするかと悩みがあるという。

 私が所属する家読推進プロジェクトHP「うちどく.com」では、各地で策定された「子ども読書活動推進計画」で、「家読」推進が盛り込まれている計画のみ掲載してる。現在(令和3年6月13日)約350件の掲載になっているが、タイトルに「子供」と表記している計画は都道府県で東京都他4県のみ。市町村の推進計画はすべて「子ども」表記である。読書推進計画のみでなく、多くの自治体や図書館や学校が「子ども」表記を使っている理由には、「【子ども】表記は柔らかく、あたたかいイメージがる」「幼児から高校生までの年齢層の幅がある」や「基本的人権の観点から」という子どもの存在を尊重する配慮もあるようだ。それに対し、「子供の”供”は供える、や、お供するという従属的な意味合いもあり、ふさわしい言葉ではない」という意見もある。いずれにしても今の時代、世間では子どもたちの主体性を育もうという新しい時代の風潮を表すに、【子ども】表記が主流になっていることは間違いのないことであり、国の言語感覚は世間の現実と大きなズレがあるように思える。

 その一方で、今政府が議論をすすめている子どもに関わる政策を集約する【こども庁】創設の動きがある。この【こども庁】の名称、【子供庁】にしなくてよいのだろうかと気になった。そして【こども庁】が開設された場合、公文書等での”こども”用語表記はどうなるのか注視してみたい。 

【追補】
 文部科学省が「子供」表記に統一した当時、新聞で使う用語をどうするか、新聞社内で大議論になったようだ。そこで最近の新聞用語はどうなっているのか、直近10日間の各新聞を調べてみた。
 朝日新聞はこの期間の記事だけでも『「子どもの政策」子どものために」』や、『「子どもの目線」で迫力を』、『子どものワクチンどうする』等々大きな見出しが目につく。本文記事も「子ども」で統一され、同紙の連載タイトル「いま子どもたちは」は、6月23日付で1755回目である。
 毎日新聞と日本経済新聞と東京新聞も「子ども」表記。読売新聞は見出しに「子供」はあるものの、本文では「子ども」表記になっていた。見出しはレイアウト上の都合かもしれない。産経新聞は見出しと本文で「子供」表記になっている。
 地方紙においては共同通信社の『記者ハンドブック』で「子供」と「子ども」どちらでもよいようだが、【子ども】表記に統一する新聞社が多い。テレビでは、NHKも『NHK新用字用語辞典』に倣って【子ども】表記で統一されている。
 以上、上記各紙の用語表記については、単純に記事から参考にしたものであることをお断りしておく。
11:53
2021/01/02

世界で1冊の手づくり絵本で「家読」をした子どもたち

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 福島県棚倉町立棚倉小学校4年生62人の手づくり絵本が、令和2年12月12日に行われた矢祭町主催「第12回矢祭もったいない図書館手づくり絵本コンクール」表彰式で矢祭町長特別賞を受賞した。
 同コンクールの創設は、全国から善意で寄贈された45万冊を所蔵して平成19年1月に「矢祭もったい図書館」が開館したことで、同図書館活動の文化性を象徴する事業を模索し、文部科学省の公募企画「平成21年度子ども読書の街づくり推進事業」に応募する事業計画書に記載した一つの事業企画であった。同事業計画書には「手づくり絵本コンクール」と共に「子ども司書制度」も盛り込まれ、現在全国約300もの公立図書館で実施されている「子ども司書養成講座」の発祥地は、この矢祭町になる。
 話を棚倉小学校の4年生たちが「手づくり絵本」製作に取り組んだ件に戻すことにする。棚倉小学校ので図工を指導するK先生は、図工の教科書の題材に「山」を舞台にした物語を描くという指導があり、「せっかく物語を描くのなら、1枚に仕上げるのではなく、国語で習った『起承転結』を生かして絵本にしてみたい」とひそかに思った。その理由には、「二分の一成人式の思い出になるように」という願いの心つもりが動機になって、それだけ記念になる「絵本」なら保護者と地域の人たちも巻き込んで製本の協力をお願いしようという、なんと豊かな感性と行動力をもった先生であろう
か。製作に取り組んだ子どもたちは「お母さんと本を仕上げたり、家の人から『いい話だね』って、ほめられたり、とてもうれしかった。」自分一人では完成できなかったかもしれないけど、地域の人に製本を教えてもらって、自分で思っていた以上によいものができてよかった」と良い経験になったようだ。
 出来上がった作品を家に持ち帰り、世界で1冊しかない絵本を家族みんなで「家読」したことで、保護者からは「子どもが考えたストーリーは、実際、わが家でしている誕生日会の内容だったので、喜んでくれていたんだと、あらためて感じました」「出来上がった本を、妹に読み聞かせしていた。妹が喜ぶ絵本を作ろうと、最初から考えて作っていたことを、本人から聞いてとてもうれしくなった」と感想が寄せられ、手づくり絵本での「家読」で、親と子のコミュニケーションがさらに深まったようだ。
 K先生はこの62人の生徒の「手づくり絵本」を、第12回矢祭もったいない図書館手づくり絵本コンクール」に応募し、見事に矢祭町長賞を受賞することになった。手づくり絵本製作にチャレンジした子どもたちには、二分の一成人式の記念としてそれぞれの人生のよき思い出になるのものと思うとともに、生きた教育というのはこのような指導にあるのではないだろうかと感じさせられた。
22:22
2020/03/05

全国一斉休校の子どもたちへの読書支援事業

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 令和2年2月27日、新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、安倍晋三首相は全国小中高の一斉休校を要請、ほとんどの学校が3月2日から休校になった。突然の休校要請に学校側は児童・生徒らに家庭での過ごし方について何らカリキュラムも指導方法も手につかなかったことが現状ではなかったであろうか。
 学校から突き放されて自宅で過ごすことになった子どもたちは、毎日をどう過ごせばいいのか戸惑っているに違いない。保護者や子どもたちで1日のタイムスケジュールをつくらねばならない。ドリルで自習したり、気分転換に読書をしたり、家事を手伝ったり、それぞれの家庭ごとに1日の過ごし方は違うことになる。そこで時間を持て余した子どもたちが、スマホやゲーム漬けにならないかという心配の度合いは大きい。年齢層の低いほどゲームの脳への障害や悪影響は大きいとこれまで専門家は警鐘をならしてきた。そういう子どもたちの環境をすこしでも良い方向へ導くために、「読書のすすめ」は一つの子どもへの対策になるのではないだろうか。
 北海道は新型コロナウイルス拡大防止で知事が非常事態宣言を表明した。週末の外出自粛要請もされて、子どもたちにはさらに窮屈な日常を強いられることになる。そのために生活リズムが変わり、不安やストレスも抱えることになる。そんな状況を克服しようと知恵を出して取り組んでいる事業が今注目されている。
17:54
2017/05/31

祝 FMゆーとぴあ「小さな朗読コンサート」300回放送

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 FMゆーとぴあ(秋田県湯沢市)と家読推進プロジェクトの共同企画で、毎週月曜日午後12時30分(再放送毎週木曜日午後12時30分)から放送されている「小さな朗読コンサート」は、2017年6月5日放送で300回目を迎える。パーソナリティは羽後町立図書館長原田真裕美さんで、番組で紹介される作品の著者に近況や創作の舞台裏などのインタビューが行われ、原田さんが作品を朗読する構成になっている。

 第1回目の放送は2011年8月1日に「ロッタちゃんとじてんしゃ」(作:アストリッド・リンドグレーン/絵:ヴィークラント/訳:山室静/偕成社刊)の紹介と朗読でスタートした。同年8月22日放送から番組に著者自らの解説も盛り込んでリアルタイムの著者とリスナーの関係をつなごうと作者インタビューを試み、その第1回出演者に児童文学作家の宮川ひろさんが登場されて、ご自身の子ども時代の家族の絆を絵本に託した「文字のない絵本」(ポプラ社刊)の背景について感動的に語られた。
 以後、わが国を代表する絵本作家の特集形式で著者インタビューと原田真裕美さんの朗読が放送され続けている。元アナウンサーの経歴のある原田真裕美さんの朗読は、繊細で情感あふれる感性と研ぎ澄まされた朗読力に、インタビュー出演した作家から、自分の作品がこのように朗読されて大変うれしいと称賛されている。

 朗読の音楽担当は家読テーマソング「こころつないで」の作曲者で、家読推進プロジェクト事務局羽柴よしえさんが、毎週、原田さんが朗読する絵本のイメージ音楽の作曲を担当している。すでに300曲近くのオリジナルイメージ音楽を作り出したことで、これも尋常なことではない。まさにこの二人の女性の並みならぬ才能と努力と忍耐力が300回の放送を重ねてきたことにねぎらいと敬意を表したい。

 地域の地道なメディア活動とはいえ、世界中で唯一の本格的な絵本朗読番組「小さな朗読コンサート」。読書推進賞等の顕彰制度をお持ちの機関は、ぜひこの番組にも関心を向けてもらいたいものである。

 最後に、これまでインタビュー出演され、番組制作に協力されてきた作家の方々にも感謝を表し下記にご紹介したい。(敬称略・出演順)
 宮川ひろ、柳田邦男、あべ弘士、浜田桂子、村上康成、鈴木まもる、星野ヒデ子、いせひでこ、中川ひろたか、山口勇子、新井満、くすのきしげのり、さえぐさひろこ、ひろかわさえこ、あまんきみこ、いわむらかずお、市川宣子、かこさとし、黒井健、ピーター・レイノルズ、森山京子、長谷川義史、宮西達也、間瀬なおたか、内田麟太郎、よしながこうたく、細谷亮太、きむらゆういち、サトシン、角野栄子、野村たかあき、香山美子、真珠まりこ、のぶみ、 の皆さん。
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2017/03/12

「朝の読書」30年目の危機か?

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 今年2月14日に文部科学省が「学習指導要領改定案」を公表した。今回の改定は、よりよい社会を創るために社会と連携・協働しながら未来の創り手となるために必要な資質・能力を育む「社会に開かれた教育課程」の実現が基本方針となっている。根源的なことはこれまでの「生きる力を育む」教育をめざすことにかわりはない。

 今回の改定で注視されるものは、2020年度に全面実施される「外国語教育」の対応にある。これまで小学校では2008年度から5,5年生を対象に始まった英語教育が2020年度に教科化される。同時に英語教育の早期化を図るために3,4年生の英語学習が必修化になる。そのために、3,4年生の英語学習をどこに組み込むか、時数の確保が小学校の緊急課題になった。

 英語教育導入の時数確保について、昨年8月に開催された中央教育審議会会議録によれば、「15分の短縮時間学習の設定(モジュール学習)」をしなければならい。新たに増加する授業時数である。その時数確保には、「長期休業期間における学習活動」や「土曜日の活用でコマ数増」など、「地域や学校の実情に応じ、組み合わせながら柔軟な時間編成を可能としていく」と指摘されている。教育委員会や学校現場の都合の良い時間確保をせよ、という投げかけになっているようだが、「長期休業・・・」や「土曜日の活用」などは制度的なこともあるだろうから、現実的なものではない。とすると、一番安易に朝の10分、15分の時数を考えると、その時間帯は現在全国の学校で実施されている「朝の読書」を「英語学習に切り替えるという方法が状況的には簡単にできることになる。
 
 平成19年度の改訂の時にも、増加した年間の授業時数の確保について「朝の10分間に行われている読書活動」をそれに充てよ、と具体的な指導が示されている。そのために当時から、上記指導により「朝の読書は取りやめになった」という嘆きの声が多くの学校から寄せられた。

 「朝の読書」は本来、子どもたちの精神安定や心の栄養素を育む読書活動とし手1988年に千葉県の私立女子高校で発生した。当時は全国の学校で授業ベルが鳴っても席につかない騒然さ、遅刻者が多く、いじめや不登校が蔓延して、さらに学級崩壊や学校崩壊で学校の危機とも言われていた時代である。少年の殺傷事件や犯罪事件も多く、全国の学校が教科書以前の心の教育が必要だ、教育の基礎は読書にある、と「朝の読書」は全国に広まった。学校の朝は静粛に包まれ、子どもたちは熱心に読書をすることで豊かな人間性が育まれ、本を読むことで集中力と読解力がつくことで学力向上にも成果をみせるようになった。
 OECDのPISA調査で日本の子どもたちの学力が問題視されて、2007年から再開された「全国学力テスト」の結果分析で、「朝の読書をしている学校は、していない学校よりも正答率が高い」とは文部科学省が実証したことでもある。

 「朝の読書」が子どもたちの豊かな成長と教育に果たしている貢献は学校関係者ならだれでも知っていることである。子どもたちの英語力も大事な教育になるが、その前に母国語をしっかり身に着けることはもっと大事なことではないだろうか。学校現場では今ICT教育の整備が進んでいる。それも効率的な教育になるのであろうが、子どもたちは学校でも家庭でも電子メディア漬けになる。電子メディアは便利な反面は子どもたちの脳細胞にはよくない状態をもたらすと脳科学者たちは警鐘をならしている。電子メディア漬けで育った子どもたちは「感情のコントロールができない」「コミュニケーション力が身につかない」という傾向が強いとも言われる。

 「朝の読書」の時間が学校現場でなくなったら、また30年前の時代へ逆もどりになるのではないか。教科書は知恵は教えてくれるが、人間性は育んでくれない。今回の改訂の主旨は「生きる力を育む」ことと「社会に開かれた教育課程の実現」にあるようだが、それが「朝の読書」と引き換えになるようであるならば、その整合性をどう理解してよいのだろうか。全国の子どもたちと、教育者たちと歩んできた「朝の読書」は、来年30周年を迎える。
14:18
2016/12/08

家読で読書立国に! 家読運動の目指すもの

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 経済協力開発機構(OECD)が2015年に72か国地域の15歳約54万人を対象に実施した学習調達度調査(PISA)で、、日本の15歳の読解力が前回4位から8位に低下した問題が、新聞・テレビで大きく報じられている。子どもの教育や学力向上には、ランクをあげた他教科よりも「読解力」低下が問題視されるのは、「読解力」問題はすべての学力の基礎能力に影響するばかりか、人間として生きていく生涯を通し、実生活の判断能力の基礎になるものだからだと私は定義している。いわば人間性の基礎になる能力だと認識してることだ。

 PISA調査は3年ごとに行われるが、読解力部門国際順位は2000年の第1回調査で8位、第2回14位、第3回15位、第4回8位、第5回4位、第6回8位となっている。2000年の8位の時に文部科学省関係者らは驚きの色をにじませながらも、わが国の子どもの学力低下を認めていなかったという。しかしながら第2回目の14位転落の発表で、文科省は「もはや日本の子どもたちは世界のトップレベルにはない」と、学力向上アクションプランや読解力向上へのプログラムが実施されることになった。

 すでにその当時、学校での「朝の読書」は全国1万校以上の学校で取り組まれ、「毎朝本を読むことで集中力と読解力が身につき、学力向上に効果を表している」と、全国の朝の読書実践校から報告が寄せられていた。そして、国会(文教委員会)でも「朝の読書」効果が審議され、2002年に当時の遠山敦子文部科学大臣が表明した「学びのすすめ」政策で、「朝の読書奨励」が打ち出されたのである。
 
 2006年の第3回調査で日本の15歳児の「読解力」さらに下落し15位となった。この第3回調査で驚きの事態があった。第1回から第2回まで読解力世界一は読書国として知られるフィンランドであり、教育関係者や読書運動関係者らはこぞってフィンランドへ視察に出かけた。ところが日本が15位に落ち込んだ年、なんと韓国がフィンランドを抜いて世界のトップに躍り出たのである。2000年は6位、2003年は2位、そして2006年には1位に上り詰めた。その7、8年前から韓国は、「朝の読書」を韓国全土に広げたいと政府関係者や読書運動団体などが目白押しのごとく「朝の読書」視察にやってきた。その効果が韓国では短年で現れた。
 
 世界一の読解力はどうして育まれたのか? 日本のメディアが韓国の教育人的資源部(日本の文科省にあたる)に取材した記事によると、「読書教育(朝の読書)の成果だ」と端的に答えている。当然のことであろう。日本では教育行政や学校が「朝の読書」実践に躊躇している時期に、韓国では全国の学校で「朝の読書」が実践され、実践が遅れていた日本の学校へ「朝の読書」の親善交流に韓国の子どもたちがやってきた。教育や読書活動では韓国が先を走っていることは事実である。今では日本の教育関係者らがICT教育を学ぶために韓国へと研修視察に行く有様でもある。

 今回のPISA調査でも、読解力低下要因は、「コンピューターを使った形式に移行したことの不慣れ」もあると文科省は説明しているそうであるが、「中高校生の読書量の減少」が大きな要因と指摘する専門家の声が多い。
 新聞記事を引用すれば『読解力は文科省は日本が最も力を入れてきた分野だ。「PISAショック」と呼ばれた2003年調査で8位から14位に急落し、文部科学省は05年から朝の読書活動などを推進した」(読売新聞2016.12.7)とあり、「言語活動の充実」などが盛り込まれた結果、「こうした成果が表れ、09年と12年の調査では読解力が8位、4位と「V字回復を遂げた」(同記事)と解説されている。さらに同紙で国語教育専門の大学教授が「中高校生の読書の機会を増やすための工夫が必要」と指摘している。やはり読解力向上の決め手は日常の「読書」習慣にあることは間違いのないことである。

 一方で、「朝の読書」は全国の学校で広がっているのに、なぜ、読解力が低下するのかと疑問視する教育者もいる。ここで問題なのは、その「朝の読書」活動、最近は、特に首都圏にその傾向があるようだが、「学力向上のために朝の読書をやめて、ドリル再開」という学校が増えつつあるということ。さらに「朝の読書」は週1回程度という学校も多い。1日10分か15分の朝の読書。毎日行うことでその成果は現れてくるが、週1回2回程度での成果はまず見込めない。さらにその朝の読書の時間は「読み聞かせ」活動にすり替えられていることも、子どもたちの自主読書をむしろ妨げている事情にもなっている。受け身と自主行動では子どもたちの能力開発はちがうものになるはすである。

 国際学力テストにおいて、日本の15歳児の「読解力」は、国の対策も奏してPISA第1回調査のレベルに回復し、20012年に4位まで向上したが、今回また第1回・第4回と同等の8位に戻った要因は何にあるのか、もともと日本の子どもの読解力レベルはこの程度のものだとしたら、2012年の4位はどのような効果が働いたのかについて国はよく検証すべきであると思う。それと、2007年度から始まった全国学力テストの結果分析では「朝の読書を実施している学校は、実施していない学校よりも正答率が高い」という傾向や、「朝の読書は算数にも効果がある」ということも実証されてきた。にもかかわらず「朝の読書」や子どもたちの読書環境づくりに国はどのような支援事業を行ってきたのであろうあろうか。
 
 私が「朝の読書」運動に関わっているときに、全国の学校から苦情が寄せらた一番の問題は、「子どもたちが朝の読書で読む本が学校にない」という本不足問題がクローズアップされた。図書室といえどもある本は薄汚れた古い本がわずかにあるだけで。読む本がなくて教科書を読んでいる子どもの心情を私たちはどう受け止めたらいいのであろうか。図書館や書店のない町や村では読む本を調達できなくて「朝の読書」が成り立たない、と嘆く教師もいた。

 国も学校の図書環境を整備するために1993年に「学校図書館図書標準」を制定し、学校の図書購入予算として5カ年計画で約500億円を措置した。さらに2002年度に5カ年計画で総額650億円、2007年度の5カ年計画で総額1,000億、2012年度からの5カ年計画で総額1,000億円が措置された。いわばこの23年間に3,150億円分の本が揃うことになるのだが、この予算は地方交付税措置のためその使い道が限定されてない。本来は本を買う予算が、道路工事や建設事業等にあてられ、図書購入予算に計上している自治体は毎年3割程度しかない。そのためこの図書予算制度では20数年たっても学校図書館の図書環境はいっこうに充実していないのが現状である。学校の図書予算は年間1万円程度から50万円以上という格差があり、教育の平等原理は学校図書館整備にはあてはまらないことも問題であろう。
 学校図書館は学校教育にとってもっとも重要な知的資源環境である。その学校図書館が満足できる状態にないことに社会は関心をもたねばならない。読書が学力向上に大きな影響をもたらすことは衆知のことである。難しい教育システムを論じる以前の問題として学校図書館の整備から始めるべき,それが読解力向上へ対策にもなる。
 特にPTAの皆さんにお願いしたのは、お子さんたちの学校の図書館がどの程度の環境にあるのか見学していただき、もし蔵書が劣悪であってもそれは学校の責任ではなく行政の問題。役所へ陳情、あるいは地元の議員に相談して学校図書館図書整備費を議会請願してもらうことが有効な方法になる。

 子どもの健全成長と学力向上に「読書」の効果あることは学者でなくとも民間人だれでも知っていることである。ではその読書環境づくりに国家はどのような政策を施しているのであろうか。読書活動はボランティアの協力がなければ全国的な活動は見込めない。とはいえボランティア活動にはかかる費用などで限界がある。その対策として独立行政法人国立青少年教育振興機構の「子どもゆめ基金」助成制度がある。
 この制度は、「未来を担う夢を持った子どもの健全育成の推進を図ることを目的に、民間団体の様々な体験事業や読書活動等への支援」がされている。全国の民間読書ボランティアが頼れる唯一の助成制度で、地域の民間ボランティアの活動を支える救いの神のような存在だ。しかしこれも読書活動面では期間内のイベント事業のための助成になる。
 
 地域の子どもの読書活動を推進するために国は、「読書コミュニティ拠点形成支援」委託事業を平成23年度からはじめている。この事業は都道府県を対象にしたもので、「地域における子どもと本をつなぐ人たちのネットワークを構築」することがねらいだ。この事業の成果目標に特に注視したいことは、「全国学力・学習状況調査の結果により、児童生徒の読書活動は、学力に影響を及ぼすことから、小中学生の不読者を減少させ、1か月の読書量を増やす」ことにある。基本的に文科省は「全国学力テスト」の結果統計から「学力に及ぼす読書の影響」は認めているところである。

 しかしながらこの大きな予算が助成される「読書コミュニティ拠点支援」事業は、県が対象なので、市町村らが望む読書支援事業になつていないところが問題でもある。地域の将来を担う子どもたちの健全成長を願って地域では日常的な読書活動が陽を見ないところで営まれている。そういう地域性を救い上げることなく、単なる県レベルの読書イベントで行われているのが現状で、イベントが終わればそれまでのこと。当事業のねらおである「読書ボランティアの活動を充実させ・・・読書ボランティア団体のネットワーク構築」などありえない事業になっているのが現状ではないか。一過性のイベント支援よりも、地域で日常的に活動している運動や事業を助成することを国家政策として考えるべきである。そのために公平な事業手段として市町村対象の「読書企画コンペ」も考えられるのではないだろうか。
 
 いずれにしても、「子どもゆめ基金」も「読書コミュニティ拠点支援事業」もイベント支援助成であり、「読書活動」に特化した助成事業がこの国の政策にないことが、地域読書活動を発展させられない最大の要因であろうと思う。少なくとも「読書コミュニティ形成支援」事業は、市町村が自主企画コンペできるような仕組みにしないと、地位社会の読書活動は、地域にやる気があってもその芽を育て上げることが困難になっている。やはり、国を挙げた読書推進は、地域までこまやかな目を向けていかないと実効に結びつかない。

 今年10月、松野博一文部科学大臣が「教育再生会議の再開」を表明した。これは「家庭や地域の教育力の低下」が指摘され、学校、家庭、地域の役割を分担して、地域の教育力向上をめざすというものだが、特に「家庭の役割」というプライベート領域に行政がどのように踏み込んだ対策を講じるのか期待したいところである。
 
 私たちの読書運動も学校の読書環境づくりをめざした「朝の読書」が全国の学校に普及したことで、これから必要なのは家庭教育問題だとして、10年前に「家読」運動を立ち上げた。 70年半ばから発生したテレビゲームから電子ゲームに変わり、インタネット、携帯電話から現在のスマホと、子どもたちはメディア漬けで育っている。そのために家族との会話やふれあい時間がが失われ、子どもの問題を親が知らない。いじめ問題はその基礎環境である家族の会話やコミュニケーションがなければ改善の見込めないものであろうと思われる。

 読書は学力向上の前に、子どもと家族のコミュニケーションを有効にし、子どもたちの豊かな成長に効果があるもので、読書は人間成長の源になるものだ。読書を習慣化することで集中力と読解力が備わり、創造力や探索力も深められる。「朝の読書」も子どもたちの心の平安を目的に考えたものだが、学力向上という現象はあくまで付加価値的なものであった。最近の学力テストの結果でも、「読書と親子の会話・子どもとのコミュニケーションが学力向上に効果あり」と検証された。

 PISA調査で日本の15歳児の学力は、2000年の「数学的リテラシー」で1位になったものの、2015年まで全分野で台湾・上海・シンガポール・香港等アジア勢の後塵を拝していることになる。この世界トップにあるアジア諸国の教育制度はどうなっているのだろうか。
 日本が学力で世界一になれないのあるならば、読書運動で世界一になるほうが早道かもしれない。すでにわが国には全国的にボランティア活動による読書運動が取り組まれている。特に全国民を対象にした「家読(うちどく)」は国民運動になりえる特色と要素をもっている。ただ残念なことにそういう各地の読書活動が統括されていないことに、この国の読書運動の曖昧さがつきまとう。

 そこで私たちは各地で読書活動に取り組んでいる人たちの意見交換や情報共有を図る場としての「うちどくネットワーク」づくりに着手した。全国都道府県別にネットワークを組織し、そのうえで「全国うちどくネットワーク」を構築したいと考えている。
 私の長い読書運動体験から、運動というものは活動者らの意見交換や情報を共有するコミュニケーションネットワークがない限り、地域や社会での定着と継続と発展につながらない。それを地域ごとに、さらに全国広域ネットワークへと拡大を図る構想である。このネットワークが全国規模で構築されたとき、国民発の「読書立国」と称することができるのではないだろうか。「家読」運動には、それを成し遂げる意義と推進力をもっている。
12:55
2016/02/12

東日本大震災復興の絵本『なみだは あふれるままに』

| by:ts
 今年は東日本大震災5年目の節目になる。これまで震災復興への希望、勇気、そして人々の心の癒しとして関連絵本が出版されてきた。これまで私なりに震災復興三部作と位置付けて紹介してきた絵本に『ハナミズキのみち』(文・淺沼ミキ子/絵・黒井健/金の星社)、『かぜのでんわ』(作絵・いもとようこ/金の星社)、『希望の木』(新井満・文/山本二三・絵/東京法令出版)である。この三作品は陸前高田市・大槌町・陸前高田市と岩手県に関連する絵本である。

 2月24日にPHP研究所から発売になる『なみだは あふれるままに』(内田麟太郎・文/神田瑞季・絵/定価:本体1,300円・税別)は津波で町の中心部の8割が瓦礫と化し、人口の約1割の町民が尊い命を失われた宮城県女川町が舞台になる。

 当時町の中学校に通う神田瑞季さんは、大津波で大好きだったおじいちゃんと多くのともだちを失いました。押し寄せる津波を見続けた少女はその惨事をどう受け止めておられたのであろうか。瑞季さんのその時の思いが、震災後まもなく1枚の復興絵はがき「生きる」に描かれることになる。5人の子どもたちが廃墟となった町の姿をみつめている。後ろ姿で手を繋ぎ、ヘルメットをかぶり、スコップを背負っていることから、その絵は復興への希望を感じさえるもの以外に言いようがない。

 後年、瑞季さんは絵本作家内田麟太郎さんとの対談で、「そこに、そのときの私の思いがすべて反映されていたと思います」と述懐する。内田さんにとっても、「あの絵が問いかけたもの・・・それがきっかけで、今回の絵本の話が進んだ」と語られている。

 東日本大震災でどれほど多くの人々が大切なものを失ったか、そしてその悲しみを乗り越えて復興への希望に立ち向かう人たちのことを、この絵本で語り合っていただきたい。

 FMゆーとぴあ「小さな朗読コンサート」2月29日(月)午後12時30分から内田麟太郎さんと神田瑞季さんの『なみだは あふれるままに』についてのインタビューを放送。
 番組へのアクセスは  http://www.simulradio.jp
 
22:20
2015/05/06

東日本大震災復興支援絵本三部作

| by:ts
 「家読は、絵本を家族みんなで声に出して読むことだけでいいのです」と機会あるごとに私は語りかけてきた。全国の学校に普及した「朝の読書」の時間、学校の先生方にも「朝の読書では、先生方はできるだけ絵本を読んでください」とお願いをしてきた。それは「絵本」は人と人とのコミュニケーションづくりと、人が生きていくための大切なテーマ(愛・勇気・夢・命・自然・友だち・家族そして生きることの意味と死について)すべてが織り紡がれているということ。だから幼いころに絵本を読んで育った子どもたちは、大人になってもみずみずしい感性を備えつけ、人生を前向きで創造的な考え方で送っていると言ってもいいのかもしれない。要するに子どもの頃に絵本のある環境で育ったか否かということは、その人の人間性を理解するうえでいみのあることなのだ。

 私は「家読」の方法を語るに難しい読書論はしないことにしている。近年は数多くある絵本の分野から、「命」の大切さをテーマにした3作品を持ち歩いては紹介している。

 一冊目は『ハナミズキのみち』(文・淺沼ミキ子/絵・黒井健/金の星社)。2011年3月11日、陸前高田市で東日本大震災で、市役所の臨時職員として市民の避難誘導に任務していた25歳の息子さん健(たける)さんが津波にのまれた。健さんと再会したのは十日後の遺体安置所であった。毎日泣いて暮らしていた母親(ミキ子さん)に健さんの声が聴こえてきた。「おかあさん・・・もう泣かないで。楽しかったことを思いだしてわらっていてね。ぼくは、ここから見ているからね。おかあさん、おねがい。ぼくが大すきだったハナミズキの木をたくさんうえてね。津波が来たときみんながあんぜんなところへにげる目印じるしに。ハナミズキのみちをつくってね。(中略)ぼくは木になったり花になってみんなをまもっていきたいんだ」。淺沼さんは健さんのメッセージを後世に伝えるための活動に取り組んでおられる。

 2冊目は『かぜのでんわ』(作絵・いもとようこ/金の星社)。岩手県大槌町のガーデンデザイナー佐々木格さんの自宅の庭に「風の電話ボックス」がある。東日本大震災で家族や友人や大切な人を亡くされた方々が毎日この電話ボッツクスにやってくる。電話はボックスの中にあるだけでつながってはいないけれども、「もう、あえなくなったひとに、じぶんのおもいをつたえると、かならずそのひとにとどく・・・」といわれている。絵本作家いもとようこさんはこの事実をもとに動物に擬人化させてつらい思いを電話に託す。
 ある日、うさぎのおかあさんが、電話ボックスにやってきて、「もしもし、ぼうや。げんきにしてる? いいこにしてる? いつものように『ただいま─』って、かえってきて! そして『おかあさーん』って、よんでちょうだい! いつものように・・・いつものように・・・いつものように・・・いつものように、こもりうたをうたうね!」といもとさんは電話にこめられた想いを絵本で物語る。

 そして3冊目は陸前高田市の”奇跡の一本松”と言われた松の木がなぜ生き残ったのか?
作家・作詞作曲家で「千の風になって」の作者新井満さんが物語で解き明かし、「もののけ姫」や「時をかける少女」等多くの美術監督を手掛けられた山本二三さんの絵になるDVD付き絵本『希望の木』が、5月11日に東京法令出版から発売になる。
 陸前高田市にあった高田松原には7万本もの松の木があったが、2011年3月11日の巨大津波で松林が全滅し、1本の松だけが奇跡的に残った。なぜ、その1本だけが助かったのか?
「もし、その1本松を人間にたとえたとしら・・・」。1本松を8歳ぐらいの少女に擬人化させてそのなぞ解きに芥川賞作家新井満さんが物語を展開する。大津波で失われた魂の希望と心のささえが希望の木に託される「希望と再生」がテーマの絵本である。

 この絵本の制作者たちは、「希望の木」を家族で、あるいは学校や地域で大勢の人たちに見て、読んでもらいたいという形式が、読み語りが可能な絵本映像版DVDが付いている。
 震災前の平和な光景の陸前高田市の町。そしてあの日の出来事。復興に取り組む人々の生き方なども紹介されながら絵本「希望の木」のページがめくられる。

 私の「家読」用絵本紹介で「ハナミズキのみち」と「かぜのでんわ」に、新しい震災復興支援絵本「希望の木」が加わった。この3冊の絵本は読書のすすめを超えて、「こころを伝える絵本」としての存在が強い。私は自分勝手にこの3冊の絵本を、東日本大震災心の復興支援3部作と位置付けている。ぜひ、全国のご家庭でもこの3冊の絵本を子どもたちと一緒に読み語っていただきたい。



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